日本、いつもの一週間
- rowiko2
- 3 日前
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――梅雨の嵐と、震える大地と――
先日、日本で暮らすということは、自然が時折「刺激的な」演出を好むことを受け入れることなのだと、改めて思い知らされました。
例えば先月のこと。
私たちは梅雨の真っ只中にいました。6月上旬から7月中旬にかけてのあのジメジメした時期です。住民は皆、文句を言いながらも、この雨がなければこの国の農業が立ち行かなくなることを密かに承知しています。なにしろ、梅雨は日本の年間降水量の約2割から3割をまかなってくれるのですから。
グレーの空と降り続く小雨、そして服が「外に出るより家の中にいたい」とボヤきそうなほどの湿気が数週間続きます。
通常なら、1ヶ月分の気象イベントとしてはそれで十分なはずです。
ところが今年は違いました。 突然、台風が現れたのです。 それも6月に。 完全に「無許可」の、時期外れの登場です。
台風といえば普通は秋のイベントであり、35度の気温と熱帯魚の水槽並みの湿度で全員を疲れさせた夏が過ぎた頃に、おもむろにやってくるものです。今回の台風はどうやらカレンダーを確認し忘れたようでした。
1日限りの豪雨と暴風は、東京の大部分を一時的にストップさせるのに十分な威力を見せ、来た時と同じくらい唐突に去っていきました。
翌朝、天気は何事もなかったかのように「通常放送」の梅雨の空模様に戻りました。
いつも通りの日常です。
2週間後、気象予報士がさらに「耳寄りな」ニュースを携えて戻ってきました。 今度は、熱帯低気圧が一つではありません。 二つです。
まるで東京のどこかで待ち合わせの約束でもしたかのように、並んで移動していました。
どうやら天気の神様は、一つではインパクトが足りないと考えたようです。
気象学者は、二つの嵐が互いの周りで踊るように進む現象に「藤原効果(Fujiwhara
Effect)」という名前まで付けています。足並みを揃えた台風にまで専門用語を用意しているあたり、いかにも日本らしいところです。
幸いにも、台風は週末に直撃する予報でした。おかげで何百万人もの通勤客は救われましたが、代わりにそれ以外の全員の週末の予定は台無しになりました。
外での食事なんて、楽観的すぎる望みでした。
雨が窓を叩く中、私はデスクに座っていました。もはやどこまでが梅雨で、どこからが台風なのか、境界線は全く不明でした。
その時、突然、家が揺れるのを感じました。 風のせいではありません。 地震です。
日本に30年近く住んでいると、その時のルーティンはしっかりと染み付いています。 ステップ1:一瞬、動きを止める。 ステップ2:スマホで震源地と震度を確認する。
ステップ3:何事もなかったかのように作業に戻る。
日本には何世紀にもわたる経験があります。
建物は倒壊するのではなく「揺れる」ように設計されています。子供たちは幼い頃から避難訓練を繰り返します。各家庭では、万が一に備えて非常用品をどこかに忍ばせています。
この国は地震を防ぐことはできません。 ただ、地震はいずれ起きるものだと想定し、それに応じて備えているのです。
それは驚くほど現実的な、人生に対するアプローチです。
残念ながら、そんな日本でさえマスターできていないのが、地震の予知です。 有名な緊急地震速報は、揺れが到着する前の貴重な数秒間を知らせてくれることがあります。
本棚から離れるには十分な時間。 あるいは、素早ければ、食卓の下に潜り込むこともできるでしょう。
その日の夜、私がすでに眠りに落ちていた時、iPhoneが突然猛烈な勢いで鳴り出しました。午後の揺れと違い、こちらは事前に「自己紹介」してくる礼儀正しさがありました。
ただ、あの警報音は全く「控えめ」ではありません。 親切な通知というよりは、パニック映画のオープニングシーンに近い音がします。
コンマ数秒のうちに、私は深い眠りから完全なパニック状態へと引きずり出されました。
肝心の地震は? 至って「控えめ」なものでした。あくまで日本の基準では、ですが。
実際、その日の午後に起きた揺れの方が強かったのですが、そちらでは警報は一切鳴りませんでした。
時折、警報システムのドラマチックさが、肝心の地震そのもののインパクトをかなり上回っているように感じることがあります。
それでも、重要な一回の警報を逃すくらいなら、不要なアラームが5回鳴る方がマシです。
しかし、日本で暮らすということは、天気が時折ルールを無視し、台風が無許可でやってきて、足元の地面が突然グラつくことを受け入れるということです。
不思議なことに、しばらくするとそれが「日常」になります。
とはいえ、決められたシーズン以外に台風のスケジュールを組んだ張本人には、いつか厳重注意が必要だと思っています。




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