フォンデュ、あるいは「終わりなき論争」を楽しむ作法
一つの鍋。二つのチーズ。そして、小さな内戦を引き起こすのに十分すぎるほどの「こだわり」の数々。
スイスを象徴する料理を一つ挙げるとすれば、それは間違いなくフォンデュでしょう。
チョコレートもいい勝負ですし、時計や銀行、山々にも根強い支持者がいます。しかし、湯気の立つ溶けたチーズの鍋を外国人の前に出せば、十中八九、彼らは即座にスイスを思い浮かべるはずです。
ただ、これには少し皮肉な一面があります。スイス人の間でさえ、その「正しい作り方」について意見が一致した試しがないのですから。
最初の問題は、フォンデュの発明者がスイスであるという主張が、完全に認められているわけではないという点です。フランス人、特にサヴォワ地方の人々は、自分たちこそが元祖だという独自の説を持っています。
そもそも、「溶かしたチーズ」自体、スイスの最近の発明というわけでもありません。
どうやらホメロスは、叙事詩の中で山羊のチーズ、ワイン、大麦粉を混ぜたものについて既に記述していたようです。後にイギリス人も参戦し、当然のように溶かしたチェダーとビールを組み合わせました。
しかし公平を期して言えば、イギリス人はミントソースなんてものを発明した国民ですから、彼らの手柄をあまり高く評価しすぎるのも考えものです。
アルプスにおいて、チーズを溶かすことは完璧に実用的な理にかなっていました。牛がいて、ミルクがあり、長い冬が控えているなら、チーズを熱々で腹持ちの良い食事に変えることは、決して革命的な発想ではありませんでした。
スイスはやがてそのアイデアを完成させました。あるいは、少なくとも「それについての議論」を完成させたと言えるでしょう。
なぜなら、カクロン(伝統的なフォンデュ鍋)をテーブルに置いた瞬間、その場にいる全員が突然「専門家」に変貌するからです。 グリュイエールを使うべきか?
ヴァシュラン・フリブールジョワか? エメンタールか? コーンスターチは入れるべきか? キルシュ(さくらんぼの蒸留酒)は? ニンニクは?
そして最も重要なのは、「どうやって混ぜるべきか」です。
伝統的なスイスの「モワティエ・モワティエ(半分・半分)」は、グリュイエールとヴァシュラン・フリブールジョワを半分ずつ使います。 理屈はシンプルです。
ところが、チーズ売り場から食卓にたどり着くまでのどこかで、誰かが必ず「うちの家系のレシピこそが正解だ」と宣言し始めます。
そして、ワインが空くにつれて、その議論はますます熱を帯びていくのが常です。
ニンニクは特に危険な領域です。鍋の内側にひとかけらこすりつけるだけの人もいれば、刻んだニンニクを直接放り込む人もいます。おそらくどちらもしないという人もこの世には存在するのでしょうが、私はどうもそういう人を完全には信用できません。
そして、パンです。
理想を言えば、少し硬くなったパンが良いとされています。それをフォークに刺し、チーズにくぐらせ、落とさないように細心の注意を払います。なぜなら、フォンデュの中にパンを落とすことは、単なる不運な事故ではないからです。伝統的に、それには「報い」が伴います。ここでスイス流の団らんが、その「少しばかり権威主義的な側面」を覗かせるのです。
フォンデュは人々を結びつけるための料理のはずです。
しかしどうやら、「鍋の中にパンを落とした奴にどんな罰を与えるか」を全員で決めることほど、人々を固く結束させるものはないようです。
実のところ、フォンデュ自体、その素朴なイメージよりもはるかに複雑な代物です。
成功させるには化学が必要です。火が強すぎればチーズは分離し、弱すぎれば固まり始めます。ワインの量、酸味、そして絶え間ない攪拌(かくはん)、すべてが重要な役割を果たします。
言い換えれば、チャーミングで素朴なアルプスのイメージの裏側には、驚くほどシビアな「科学実験」が隠されているのです。
さらに、「本物(オーセンティシティ)とは何か」という問いもあります。 ここからが実にスイスらしい話になります。
フォンデュが「古くから伝わる国民的伝統」であるというイメージは、実は少し誤解を招くものです。
何世紀もの間、それは主に一部の地域の料理に過ぎませんでした。フォンデュがスイス全土の象徴となったのは、ようやく20世紀に入ってからのことです。
これにはスイス軍が一役買いました。そして、チーズ業界も。
フォンデュは安価で、準備が簡単で、26の全てのカントン(州)から集まった兵士たちに、26通りのレシピを教える手間なく食事を出すことができました。
つまり、驚くほど効率的な「国家建設」の一環だったわけです。 チーズ業界も、この質素な郷土料理を国のアイコンに仕立て上げる手助けを喜んで引き受けました。
ですから、フォンデュは結局のところ、古代から伝わる伝統ではないのかもしれません。
むしろ、「チーズを使った非常に見事なマーケティング戦略の成功例」と言った方が面白いでしょう。
そう考えると、これこそが最もスイスらしい点だとも言えます。
もちろん今では、パッケージに入ったレトルトのフォンデュを買うこともできます。温めて混ぜれば、夕食の完成です。
純粋主義者はそのアイデアに顔をしかめるかもしれません。
しかし、ブラインド・テイスティング(目隠しテスト)を行うと、こうした既製品が意外にも健闘することがあります。
すると、また新たな不都合な問いが生まれます。「もしレトルトのフォンデュが美味しかったら、それは『本物』と言えるのか?」
おそらく、一番賢い答えは「そんなことは聞かないこと」でしょう。 ただ、ワインをもう一本開ければいいのです。
結局のところ、それこそがフォンデュをこれほどまでに素晴らしく「スイス的」にしている理由なのですから。 それは、「分かち合うため」にデザインされた料理なのです。
日本のすき焼きやしゃぶしゃぶと同じように。
もしあなたが特に冒険好きなら、日本で「チーズフォンデュ」を試してみるのもいいでしょう。野菜やウィンナー、エビなどが添えられ、パンが驚くほど少ないこともあります。……まあ、スイスのフォンデュ純粋主義者がそれを見たら、間違いなく一言物申したくなるでしょうけれど。




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