スイスから日本への道のり
- rowiko2
- 12月10日
- 読了時間: 7分
本記事は、2023年9月30日に英語で公開されたものです。
日本での新生活を始めるためにヨーロッパで飛行機に乗った日から、今日でちょうど27年が経ちました。
かつて、空の旅を一言で表すなら「ワクワク(興奮)」でした。特に、地球の裏側にある遠く離れた目的地への12時間のフライトともなれば尚更です。しかしここ20年ほどで、空の旅ははるかに複雑になり、今では「ストレス、不安、疲労」といった言葉の方がしっくりくるようになってしまいました……。長距離フライトを頻繁に利用する方なら、私が言わんとすることがわかるでしょう。もちろん、ビジネスクラスやファーストクラスに乗れるラッキーな方々は別ですが。
例えば、保安検査(セキュリティチェック)です。飛行機で旅をしたことがある人なら誰でも、あの通り抜けなければならない装置のことはご存知でしょう。「ボディスキャナー」「全身スキャナー」「セキュリティスキャナー」など呼び名は様々ですが、基本的にはどれも同じこと、つまり金属を持っていないか、セキュリティ上の危険がないかを確認するための機械に過ぎません。そして、検査場を通る前にほぼ下着姿に近い状態になるよう求められるにもかかわらず、それでもブザーが鳴ることはよくあります。そうなると必然的に、制服を着た係員によるボディチェック(接触検査)が続くことになり、これは決して愉快な体験とは言えません。
検査前にはどれほどリラックスしていたとしても、通り抜けて荷物をまとめる頃には、どうしてもストレスを感じてしまいます。周りの人々も私と同じように、トレーから自分の荷物を回収しようと必死になりながら、同時にジャケットやベルト、靴などを身に着け直そうとしているのですから、それも無理はありません。誰もがこの「修羅場」から一刻も早く抜け出し、店やラウンジ(入室権がある幸運な人たちは)、あるいは直接ゲートへと向かおうとしています。チェックインで遅れてしまい、保安検査の長い列や入念な検査を予想していなかったために、乗り遅れまいと必死な人も多いのでしょう。
そして人間というものは、ストレスを感じているとき、必ずしも合理的に行動できるわけではありません。私も例外ではありません。ある時、成田空港から出発する際、荷物をまとめていた私は、一時的にパスポートを機内持ち込みバッグの中の荷物の一番上に置くのが良いアイデアだと思ったのです。誰かに盗まれるように放置しておくよりはマシだ、と。
私はジャケットと帽子、マフラーを身に着け直し(旅行中は実用的ではなくても、きちんとした格好をするのが好きなのです)、ズボンのベルトを締め直し、ノートパソコンをケースに戻してバッグに入れ、液体の入ったビニール袋をリュックに戻し、財布をポケットに、スマートフォンを胸ポケットに入れ、すべてのジッパーを閉めてエスカレーターで下の階の入国審査場へと向かいました。
ところが、エスカレーターを降りている最中に突然気づいたのです。入国審査官に提示するために手に持っているはずのパスポートが、ない!
先ほど申し上げた通り、人はストレス下にあるとき、必ずしも合理的な行動をとるとは限りません。私は下りのエスカレーターの上で回れ右をし、逆走して歩いて(というより、つまずきながら)登って戻りました。ただでさえ大変な行為なのに、キャリーケースまで持っていたのです。幸い後ろから降りてくる人はいませんでしたが、今にして思えば、人生で最良の選択とは言えませんでしたし、転んだり怪我をしたりしなかったのは運が良かったとしか言いようがありません。
息を切らしてパニック状態で保安検査場に戻り、必死にパスポートを探していると、近くにいたスタッフの目に留まったようでした。私が窮状を説明すると、彼女は落ち着いて「バッグを開けてみてください」と言いました。私は内心「泥棒はもう私のパスポートを持って逃げた後だろうから、無駄なのに」と思っていました……。しかし、バッグの中のノートパソコンの下に、あの白い十字が描かれた赤い手帳(スイスのパスポート)があるのを見たとき、彼女の指示の意味がすぐに分かりました! 彼女は目に笑みを浮かべながら、淡々と言いました。「パスポートをなくしたとおっしゃるお客様のほとんどが、バッグの中から見つけられますよ」。私は自分が完全な間抜けのように思えました。唯一の慰めは、どうやら私のような人が他にもたくさんいるらしい、ということだけです……。
1993年に初めて日本行きのフライトに搭乗したときは、一大イベントのように感じられました。それまで飛行機に4時間以上乗ったことがなかったので、これから始まる12時間のフライトに胸を躍らせていました。もちろんそれは、エコノミークラスの座席に座りっぱなしで、娯楽の選択肢もほとんどない12時間がどれほど長く感じるかを思い知る前の話です。
思い出してください。当時は9.11のはるか前であり、現在のような厳しいセキュリティ対策もありませんでしたが、同時に個人用スクリーンなどまだ発明されておらず、唯一の選択肢は大きなスクリーンに映し出される映画を全員で同時に見るだけという時代でした。驚くべきことに、当時は「喫煙席」を予約するという選択肢さえあった時代です! これが民間航空と技術がどれほど進歩したかの証なのか、それとも私の年齢の証なのかは分かりません。おそらく、その両方でしょう!
さて、多くの人がご存知の通り、日本は「極東(Far East)」にあります。しかし、西に向かっているつもりが突然東に出てしまうこともあるわけで、どこまで行けば「極東」なのかというのは混乱を招く概念です。きっとコロンブスも同じ疑問を何度も自問自答したことでしょう……。
また、これも(そう願いたいですが!)多くの人がご存知の通り、地球は平らではなく丸いものです。地図を見ていると、西から東へ「直線」で飛ぶのが日本への最短ルートだと思いたくなるかもしれませんが、断言します、それは違います。残念ながら、平面の地図は飛行ルートを示すには非常に不向きです。だからといって乗客全員に地球儀を配るわけにもいかないので、航空会社はスクリーン上の地図を使わざるを得ません。もっとも、近年はずいぶん洗練され、3Dの地球儀を映し出してヨーロッパから日本への飛行の実態を伝えようとしていますが。そしてその「実態」とは、最短ルートはシベリア上空を通るものだということです。地図上では大回りに見えますが、実際はそうではありません。地図のトリックですね。
1993年の最初のフライトで私が知らなかったのは、シベリア経由の直行便は当時まだ目新しいものだったということです。ほんの数年前まで冷戦の影響でこのルートは開放されておらず、当時の飛行機は現代のジェット機よりも航続距離が短かったため、迂回して途中で給油する必要があったのです。
そして現在、再び地政学的な理由により、30年近く「普通」だったことが突然そうでなくなってしまいました。航空会社はロシア領空を避けるために別のルートを使わざるを得ません。多くの会社はロシア南側の国境沿いのルートを選んでいますが、SWISS(日本との直行便を運航している唯一の航空会社であるため、私の愛用キャリアです)は、カナダとグリーンランドを経由し、北極点を越えて飛ぶことを選んだ数少ない航空会社の一つです!
2022年に初めてこのルートでスイスへ飛んだ際、モニター上で機体が太平洋へ出て、カナダへ向かって北東に進んでいるのを見たときは、頭が混乱しました。一般的な感覚では、どう考えてもスイスへ向かうルートではないからです。もし地球が丸いということに少しでも疑いを持っていたとしたら、これは間違いなく究極の証明になったことでしょう。また、アンカレッジ近くを通るこのルートは、実は90年代初頭以前に使われていたルートと似ていることにもすぐに気づきました。唯一の違いは、航空技術の進歩により、距離が伸びても給油の必要がないほど飛行機の航続距離が伸びたことです。

しかし現実として、この迂回により飛行時間は2時間増え、長年慣れ親しんだ12時間ではなく14時間になってしまいました。これはかなり大きな違いです。まるでスイスと日本が物理的に離れてしまったかのように感じますが、もちろんそんなことはありません。
とはいえ、1500万年ほど前、日本がユーラシア大陸から離れ始める前は、大陸の東海岸にくっついていたことは指摘しておく価値があるかもしれません。つまり、かつてはスイスから日本まで陸路で歩いて行けた時代があったのです(もっとも、その恩恵を受けられたのは動物界の生き物たちだけで、人類はまだ地球上に登場していませんでしたが)。それに、その旅には相当な時間がかかったことでしょう……。
そう考えれば、飛行機での「追加の2時間」なんて、たいしたことないように思えてきませんか?






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