あるスイス人「スポーツ愛好家(?)」の告白
- rowiko2
- 2 日前
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更新日:1 日前
本記事は、2025年1月26日に英語で公開されたものです。
毎週末、東京と神奈川を隔てる多摩川沿いを散歩していると、地元の人たちが熱心に野球をしているのを見かけます。ヨーロッパ人の私は、それを困惑の眼差しで眺めています。「なぜ誰かが『丸いバット』なんてものを思いついたんだろう?」と。ボールを打つのをできるだけ難しくするために設計されたとしか思えません。正直なところ、このスポーツの魅力はいまいち分かりません。でも弁明させてもらうと、ヨーロッパの国々には野球をする歴史が単純にないのです。
子供の頃、私は不本意ながらフットボール(混乱を避けるために「サッカー」と言いましょう)の世界に徴兵されました。男の子は皆、次のベッケンバウアーやマラドーナになることを夢見ていましたが、私はボールを完全に避ける技術を磨くことや、そもそも参加しなくて済む言い訳を見つけることの方に興味がありました。もちろん、基本は理解していましたよ。ボールを蹴る、手を使わない、オフサイドルールを理解しているふりをする……。でも、サッカー狂ではありませんでした。
家族も私の熱意(あるいはその欠如)を共有していました。テレビで試合が流れるたび、母は「あの無駄な追いかけっこをなくすために、選手全員にマイボールを持たせればいいのに」とジョークを言ったものです。正直、それは画期的なアイデアだと思いました。
最近、河川敷で外国人コミュニティの人たちがクリケットに興じているのを見かけます。日本への最新の輸入文化ですね。もし野球が私にとって謎なら、クリケットは明らかにそのさらに上を行っています。理解するにはその血が流れていなければならないのだと思いますし、私のDNAには含まれていないと断言できます。
しかし、スキーは別物です。私はゲレンデでもテレビの前でも、アルペンスキーと共に育ちました。冬季オリンピックや世界選手権の間はソファに根を張り、まるで自分の命がかかっているかのようにスイスのスキーヤーを応援したものです。オーストリア人が勝とうものなら、個人的に裏切られたかのような反応をしていました。スイスとオーストリアのライバル関係は、我が家のリビングルームでも健在だったのです。

毎年1月、家族はアルプスへの聖なる2週間の巡礼に出かけました。最初はホテルに泊まっていましたが、最終的には自分たちのホリデーフラット(貸別荘)にアップグレードしました。文字通り「第二の我が家」です。
子供の頃、両親は私をスキースクールに入れ、自分たちはのんびりと冬の散歩を楽しんだり、日焼けをしたり、温泉に浸かったりしていました。彼らはスキーヤーではありませんでしたが、リラクゼーションの金メダリストでした。
一人でゲレンデに出られる年齢になると、私は向こう見ずに滑り、自由とスピードを楽しみました。どんなに難しい地形でもロケットのように滑り降りました。優雅には見えなかったかもしれませんが、いつも五体満足で下までたどり着けたので、それは大成功だと見なしていました。
その後、大人になり、両親との休暇をやめ、雪山を砂浜へと交換しました。最後にスキーを履いてから約35年が経ちますが、正直なところ、私の膝はそのことに感謝しています。
日本の人たちと話していると、どうしてもウィンタースポーツの話題になります。「スキーの達人に違いない!」と彼らは叫びます。どうやらスイス人であるということは、スキーブーツを履いて生まれ、家から直接ゲレンデに出られると思われているようです。
何十年も滑っていないし、日本のゲレンデには一度も立ったことがないと認めると、まるで私が「マッターホルンは日本にある」と宣言したかのような目で見られます。「冗談でしょう?」と彼らは抗議します。ああ、悲しいかな、私はスイス時計のように大真面目なのですが。
はっきりさせておきましょう。すべてのスイス市民が、いつでも金メダルを狙える隠れオリンピック選手というわけではありません。私たちの中には、冒険はそれほど「下り坂(ダウンヒル)」でない方が好きな者もいるのです。
もし私に出くわしてスポーツの話になったら、私のスキーの腕前は現実というより神話に近いと思ってください。私が野球のルールを理解しているのと同じくらいにね。






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